豆を植え、これで味噌を煮て東京の息子のところに送ってやる、送ってやれば息子さんからの送金となる・・・。


一本の大根も、少々の味噌も、みんなお金となり生活費になるのだ、と笑顔で話していました。


この老女はこのお金でヘルパーを雇ったりデイサービスに通ったりしています。


子どもからときどき手紙がきます。


しかし本人は読めません。


その手紙はいつもわたしが読んであげたり、また返信を代筆してあげます。


親は子どもを心配し、子どもは親を思う。


末っ子が毎月規定の送金をし、ほかの子どもたちがその不足分をみんなで分けあって送金する。


足りなくなれば手紙一本で金が送られてくる・・・。


今の世の中に、こんな美しい親子もあるのだ、とほんとうに感心させられました。

子どもたちは、それぞれ家庭をもって暮らしております。


兄、姉たちは東京で暮らし、末っ子が山形市で商売を営んでおり、老いた母をみるのはいちばんちかくにいるこの末っ子に決まったそうです。


「お母さん、僕がいちばんおそく生まれたから僕がお母さんをもらいます。


兄さん、姉さん、お母さんを僕にください」


・・・と、家族会議の場で頭を下げたそうです。


78歳ともなれば、足が不自由で、歩行も十分でなく、デイサービスの準備や掃除や食事の支度なども不自由しています。


末息子が心配していっしょに暮らしては、と嫁とともに言っても、この土地から離れるのが惜しい・・・


懐かしい友だちのいるこの地で死の山に行きたいものだ、といってひとり暮らしをつづけています。


裏に畑が少しあり、大根や白菜、人参など少しずつつくっては、一本、二本と町に住んでいる子どもたちにもたせてやるのをたのしみとしています。


訪問のときは、お弁当を多くもって、昼食はこの老人宅ですることがたびたびです。


この訪問日と楽しみのデイサービスの日は首を長くして待っていてくれます。


話といえば、いつも嫁の悪口ばかりでした。


そして、お金が頼りになる、誰も怖くはない、とこころを強くしているのです。


孫たちに一銭もあげるではなし、「貸しても返さない」とか話題はいつのまにかお金のことになってしまいます。


野菜をつくって子どもにもたせてあげる・・・。


このおばあちゃんとはまったく反対の老人もいます。


78歳のおばあさん、北海道の地からこの町に来て50年以上、ご主人に死なれて17年になるとのことです。


6人の子どもをかかえ、コンニャクをつくり、売り歩いたりして血を流すような思いで子どもたちを育てあげてきた、といっておりました。


また、字も書けないし、読めない、という方でした。

お金があるために不幸な老人もいます。


84歳の単身の老女です。


長男は家から離れて家庭をもち、ほかの子どもたちもそれぞれ嫁いでいます。


ご主人が公務員だったので、その恩給があり、老人ひとりの生活には余るほどの収入があるといいます。


このおばあさんは、気丈であたまも切れる人です。


そして、お金があっても、これといっておいしいものをたべるでもなく、きれいな着物を着るでもなく、デイサービスを利用するわけでもなく・・・


入ったお金は次つぎと預金してしまい、そのことをたのしみにしています。


そうしたおばあさんにたいして、子どもたちはときどき訪ねては来ますが、お金の件だけで話がまとまると、さっさと帰ります。


洗濯してくれるではなし・・・


おかずをつくっていってくれるわけでもありません。


このへんに、このおばあさんの悩みや悲しみがある、ということがだんだんにわかってきました。


医師も往診してくださり、ひと月ほどはみんなの世話になり、この家ですごしました。


ただ、二晩ばかり夜中に「愛のベル」をならしてみんなをさわがせたこともありました。


この病人に入院をすすめてみても、家庭で療養するにしても看護者のことやら経費のことが問題となります。


そこで老人ホームのことを話してきかせても、


「老人ホームは、うば捨て山のような気がする」


・・・というのです。


この町のような山間部の町には、町の温かい空気、またお隣の温かい顔がいっぱい満ちています。


そして何十年と住みなれたこの町を今さら離れるのはいやだ、というのです。


そこで、考えるのは、各町村や市、国で病院に付属した老人ホームをもっともっとつくれないものだろうか・・・


それも、自分の町にあったち、"うば捨て山"のような思いをせずに暮らせるのではないか、と思います。


それか、せめて心地良いデイサービスがあれば、と思います。